【歴史シリーズ】住みたい街ランキングの常連「吉祥寺」の由来や歴史をご紹介!

「住みたい街ランキング」で常に上位にその名を連ね、首位に躍り出ることも珍しくないのが吉祥寺。「都心から程よい距離感でアクセスもバッチリ」「都会的な部分もありつつ、大きな公園が身近にあって居心地がよい」という絶妙なバランスが多くの人々に支持されています。

今回は、「一度は住んでみたい」と憧れを抱く人も多い吉祥寺について、その名前の由来や郊外都市として発展するまでの歴史をご紹介します。吉祥寺を訪れたことがある人も驚くような、意外な事実を発見できるかもしれません。ぜひ最後までお付き合いください。

吉祥寺とはどんなところ?

東京西部、武蔵野市にある「吉祥寺」。吉祥寺といえば、23区外でありながら若者からファミリー世帯にまで根強い人気を誇る街として有名です。

再開発が進み、都会的な雰囲気が感じられる駅周辺。しかし南へ少し足を延ばした先には、落ち着いた住宅街が広がっています。その先にあるのは、豊かな自然で知られる井の頭公園。1917年に日本初の郊外公園として開園して以降、100年以上に渡って人々の憩いの場となっています。

都会すぎず、豊かな自然にも触れられる。そんな居心地の良さで、多くの人を魅了するのが吉祥寺です。

吉祥寺の名前の由来とは

「吉祥寺」という名前を聞いて、「近くに吉祥寺という名のお寺があるのでは」と考える人も多いのではないでしょうか。同じく中央線沿線にある高円寺や国分寺といった、地名に「寺」がついている地域にはその名と同じお寺が存在します。一方、武蔵野市やその周辺に「吉祥寺」という名のお寺は見つかりません。

では、なぜこの地を吉祥寺と呼ぶようになったのでしょうか。その由来を探るためには、室町時代まで歴史をさかのぼる必要があります。

もともとは江戸城内に創建されたお寺

吉祥寺のルーツである「諏訪山吉祥寺」はもともと、室町時代に「吉祥庵」という名で江戸城内に創建されました。江戸城築城の際に、太田道灌が和田倉門近くの井戸から「吉祥増上」と刻された金印を発見したのが創建のきっかけであると言われています。

徳川家康の時代に入ると、吉祥庵は本郷元町(現在の水道橋駅付近)へ移転。その名を「諏訪山吉祥寺」と改めました。周辺は門前町として栄え、お寺を中心に多くの人が暮らしていました。しかし1657年、世界三大大火の1つである「明暦の大火」によって、お寺も門前町も焼失。これを機に、お寺は文京区本駒込に移転したのです。

文京区に現存する「諏訪山吉祥寺」

江戸時代の移転後も度々火事や地震、空襲の被害に遭ってきた諏訪山吉祥寺。修復や再建を繰り返しながら現在に至るまで、随所に当時の面影を残しています。

諏訪山吉祥寺は都心では珍しいほどの広さを誇り、山門からは本堂までは長い参道が続きます。敷地内には、さまざまな建造物や観音像、仏像が点在。有名な武将や二宮金次郎としても知られる二宮尊徳の墓碑など、多くの著名人が眠る墓もあります。

一方、水道橋の門前町で暮らしていた住民たちは、お寺の移転とともに同地へ移り住むことはできませんでした。寺の移転先周辺には、住民たちが住むための土地は用意されていなかったのです。住まいを失った彼らに対して当時の幕府が与えた土地、それが武蔵野東部に位置する現在の吉祥寺エリア周辺でした。

移住者によって開墾された吉祥寺村

かつての門前町から集団移住してきた人々は、その地を「吉祥寺村」と呼ぶようになりました。これが吉祥寺という名前の由来です。

彼らが移り住んだ当初の吉祥寺は、水が乏しい未開墾の地。作物を育てるのに適した環境とは程遠く、雑穀を作るほか、林業で生計を立てていた人が多くいたそうです。

1889年には、吉祥寺村を含む複数の村が合併して「武蔵野村」となりました。武蔵野村の人口が急激に増えたのは、1923年。関東大震災によって住まいを失った多くの人が、比較的被害が少なかった同地に移り住んできました。かつて何もなかった荒野とも言える地は、災害から逃れてきた移住者によって開拓され、発展してきたのです。

「郊外都市」に発展した吉祥寺の歩み

郊外にありながら商業施設が立ち並び、今もひと昔前も多くの人が集う吉祥寺。ここでは、そんな「郊外都市」として吉祥寺が発展してきた歴史と今後の展望をご紹介します。

「吉祥寺駅」の誕生によって郊外の都市へ

1889年に、現在のJR中央本線の前身である甲府鉄道が新宿-甲府間で開通。吉祥寺駅は同路線15番目の駅として、その10年後の1899年に開業しました。

1917年には井の頭公園が開園。周辺には別荘地ができ、都心部の人からも注目が集まるようになります。さらに、1924年には成蹊学園や東京女子大学が吉祥寺にキャンパスを移設したり、1930年代には軍需工場の建設が相次いだりしたことで、同地を訪れる人や移り住む人が急増しました。こうして、多くの農地が宅地となっていったのです。

1934年になると京王井の頭線吉祥寺駅が開業。交通利便性がいっそう高まり、人々の往来も益々盛んになりました。

戦後闇市での繁栄

昭和初期の戦時下、複数の軍需工場があった武蔵野町は多くの空襲被害を受けました。地方へ疎開する住民も多く、それまで増加の一途をたどっていた人口も、一時的に減少に転じたそうです。駅周辺では「建物疎開」が行われ、駅舎を除いて更地となりました。

戦中から戦後にかけては、「配給」以外の食べ物の入手が違法とされていた時代。しかし、実際には配給だけでは足りず、いわゆる闇のルートで入手・販売されていた食料なしに生き抜くのは困難でした。そうした中、全国各地に「闇市」ができたのです。

交通利便性の高さを誇りながら更地となっていた吉祥寺駅前には、食料品店や飲食店、衣料品店など、およそ150の店が集まる闇市が築かれました。「ここに来ればなんでもそろう」と言われた闇市には、連日多くの人が行き交い、活気で溢れていたそう。現在も吉祥寺の人気のスポットとして有名なハモニカ横丁は、この闇市がルーツです。

1970年代には大型商業施設が多数進出

吉祥寺では、1964年に決まった都市計画に基づいて再開発が始まりました。1970年代に入ると、駅周辺にはファミリー世帯をターゲットにした大型商業施設が次々と進出。交通利便性に加えて生活利便性も向上した吉祥寺には、さらに多くの人が集まるようになりました。

サブカルチャーの発信地として若者からの人気が高まったのもちょうどこの時。ジャズ喫茶やライブハウスが増え、音楽を愛する人々が集うようになりました。当時、吉祥寺周辺には有名な漫画家が数多く住んでいたり、劇団や俳優養成所があったりと、若者を惹きつける要素が多くあったのです。

駅周辺は新旧の建物が融合

再開発が進んだ駅周辺に見られるのは、2019年に新しく開業した駅直結商業施設「キラリナ京王吉祥寺」を筆頭にした新しい建物。その一方でハモニカ横丁をはじめ、古くからの建物も数多く残されています。古い建物の中には、何十年も変わらず営業を続けているお店もあれば、モダンでオシャレなお店も。まさに新旧の建物や文化が融合した、独特な雰囲気と魅力をもっているのが吉祥寺の特徴です。

多くの人々に愛されながら発展してきた吉祥寺ですが、街づくりの観点からは歩行環境の改善や老朽建物の利活用などの課題も挙げられています。こうした課題解決をしながら街の魅力をさらに高めていくために、今後30年の街の将来像を定めた「吉祥寺グランドデザイン2020」が2020年4月に策定されました。新しいものと古いものをうまく共存させながら、住む人や訪れる人にとってより魅力的な街を目指している吉祥寺からは、今後益々目が離せないでしょう。

吉祥寺といえばここ!

たくさんの魅力が詰まった吉祥寺には、23区や都心からも平日や休日を問わず多くの人が訪れています。ここでは、そんな吉祥寺でとくにオススメのスポットを2箇所ご紹介します。

井の頭恩賜公園

井の頭公園は、井の頭池という大きな池があることでも有名。池のほとりには、池を囲むように200本の桜の木が植えられており、春になると大勢の花見客が訪れます。お花見シーズン、そして赤や黄色に変化した色とりどりの葉を楽しめる紅葉シーズンには、ボートを漕ぎながらその美しい景色を楽しむのがオススメです。外周1.5kmの池の周りを散策するだけでもよいリフレッシュになりますね。

三宝寺池と善福寺池に並び、武蔵野三大湧水池である井の頭池には、かつて多くの湧水口がありました。その1つで池の西端にあるのが「お茶の水」。徳川家康がこの湧き水でお茶をたてて「おいしい」と評したことでも知られる名水処であり、人気のパワースポットです。

公園の西側は「三鷹の森ジブリ美術館」や「井の頭自然文化園(動物園)」があり、子どもから大人までいつも多くの人で賑わっています。さらには野球場やテニスコート、陸上競技場などのスポーツ施設も充実。あらゆる目的で訪れる人が自然の中で思い思いの時間を過ごしています。

ハモニカ横丁

実は、ハモニカ横丁が再び脚光を浴び、現在の人気スポットへと変化したのは2000年代に入ってからのこと。店主の高齢化によってシャッターを降ろす店が増えてきた中、1998年にオープンした「ハモニカキッチン」が話題を呼び、新しいお店が続々とオープン。レトロな雰囲気の中で、昔から営業を続けるお店とモダンなお店入り混じるようになりました。

闇市をルーツにしているだけあり、今も小さなお店がひしめき合うように並んでいるハモニカ横丁。通路と店舗の境目も曖昧で雑多とも言える雰囲気からは、横丁全体の一体感が感じられます。個性豊かなお店が多く、歩くだけでも楽しめる独特な空間に、ぜひ一度足を踏み入れみてはいかがでしょうか。