【歴史シリーズ】人気上位の街「三軒茶屋」の由来や歴史、魅力をご紹介
「三茶(さんちゃ)」の呼び名で親しまれている、三軒茶屋。「住みたい街ランキング」の上位にその名が挙がることも多く、言わずと知れた人気の街です。
そんな人気の街について、「その活気はいつから続くもの?」「名前の由来は何?」「そもそもなぜ人気なの?」と気になる人もいることでしょう。そこで今回は、三軒茶屋の名前の由来や歴史を解説しながら、江戸時代から現代まで変わらずに人々を魅了してきた、その人気の秘密に迫ります。
三軒茶屋とはどんなところ?
世田谷区東部に位置し、渋谷区や目黒区からもアクセスがよい三軒茶屋。一人暮らし世帯からファミリー世帯まで、幅広い層に支持されています。
三軒茶屋と言えば、オシャレで洗練されたイメージを抱く人も少なくありませんが、この街の魅力はそれだけではありません。どこか昔懐かしい、下町の風情が色濃く残っているエリアを楽しみにこの街を訪れる人も多くいます。そんなさまざまなカルチャーが交じり合い、訪れるたびに新たな発見を楽しめるのが三軒茶屋です。
三軒茶屋の名前の由来とは
「三軒茶屋」という名前。一説によると、その名は1800年前後から使われるようになり、徐々に一般的な呼称として使われるようになっていったそうです。その名前の由来から、地域の歴史を紐解いてみましょう。
3軒のお茶屋さんが実在した!
実はその昔、「三軒茶屋」にはその名のとおり、信楽(しがらき)、角屋、田中屋という3軒のお茶屋さんがありました。3軒は、国道246号と世田谷通り、茶沢通りが交差する三差路周辺、現在の三軒茶屋交差点付近に店を構えていました。
これら3軒のお茶屋さん周辺を中心に、徐々に街は賑わいを見せるように…。いつしかその地を「三軒茶屋」と呼ぶ人が増え、世田谷区が成立した1932年に正式な地名となりました。
江戸時代中期に栄えた「お休み処」
三軒茶屋の名前の由来になったお茶屋さんが栄えていたのは、江戸時代中期。当時は現代でいうところの「旅行ブーム」のように、お寺や神社への参詣が流行っていました。そうした中で多くの人が目指していた地の1つが、神奈川県伊勢原市大山にある「大山阿夫利神社」です。
当時の三軒茶屋周辺は、大山阿夫利神社へお参りに行く人々の「お休み処」の役割を果たしていました。周辺にはお茶屋さんだけでなく、酒屋さんなどもあったそう。江戸の赤坂御門を出発して大山へ向かうまでの最初の休憩地として、三軒茶屋では多くの人が旅の疲れを癒したり、残りの旅路に備えて体を休めたりしていました。
当時のお茶屋さんは、お茶やお菓子だけでなく料理も出しており、お店によっては料亭のような店構えのところもあったとか。3軒のうち、田中屋は宿泊所も兼ねており、敷地面積は100坪を超えていたそうです。現代の喫茶店やカフェとはまた違ったお茶屋さんの姿から、当時の賑わいが想像できますね。
3軒のうち1軒は現存!
江戸時代に3軒あったお茶屋さんのうち、現存するのは1軒のみ。「田中屋」は、今も当時とほぼ同じ場所で「田中屋陶苑」の看板を掲げて、お店を開いています。お茶屋から陶器屋へと業態を変えながらも、三軒茶屋の歴史を現在にまで受け継いでいます。
他方、角屋は明治時代に閉店。信楽は、「石橋楼」や「茶寮イシバシ」と名を変えながら1945年4月まで洋食屋や宴会場を営んでいました。しかし当時出された建物強制疎開令をきっかけに、長く続いた歴史に幕を降ろしたそうです。
三軒茶屋の歴史とは
三軒茶屋は人々が行き交う要衝として、古くは江戸時代から栄えていました。時代の流れとともに変化を繰り返しながらも、人々を惹きつけてきた三軒茶屋。その歴史を少し覗いてみましょう。
古くから交通の要衝
前述の大山阿夫利神社は、五穀豊穣や商売繁盛で信仰を集めており、江戸やその周辺から毎年多くの人が参詣に訪れていました。農民たちからは雨乞いの神様としても信仰され、日照りが続いたときには参詣者が途絶えない程だったといいます。
また現在の世田谷通りは、江戸から登戸を経て鎌倉へ向かう際に通る道としても利用されていました。そのため世田谷通りと大山へ続く大山通り(国道246号)の分岐点である三軒茶屋は多くの人々が行き交う、交通の要衝として栄えたのです。
戦後には闇市も
東急電鉄三軒茶屋駅の世田谷通り口を出たところにある、「三角地帯」と呼ばれる一角。空襲被害に遭った同地は戦後間もなく闇市がつくられ、大きな賑わいを見せました。
闇市で栄えた三角地帯にはその後、飲食店を始めとしたさまざまな商店が軒を連ねるように。1950年には当時としては珍しいアーケード型の「エコー仲見世商店街」ができました。限られたスペースに多くの店がところ狭しと立ち並び、昭和レトロな面影を今も多く残しています。今では昔を懐かしむ人が訪れたり、そのレトロなたたずまいに惹かれた若者が訪れたりする人気スポットです。
賑わいを見せた5軒の映画館
戦後、区内随一の繫華街としても栄えた三軒茶屋。ピーク時には三軒茶屋だけで映画館が5軒もあるほど、娯楽文化も盛んでした。
その後、時代の流れとともに徐々に客足が鈍り、5軒あった映画館も減少。長く営業を続けてきた「三軒茶屋中央劇場」と「三軒茶屋東映(後の三軒茶屋シネマ)」もそれぞれ惜しまれつつ2013年と2014年に閉館しました。これによって三軒茶屋から映画館が姿を消したのです。
再開発の歴史
1923年の関東大震災後、三軒茶屋へは多くの人が移り住みました。街には益々活気が溢れるようになった反面、その雑多とも言える街並みに対しては都市整備が課題に…。そんな課題を解決すべく、三軒茶屋ではこれまでに合計3回の大規模な再開発が行われてきました。
三軒茶屋で再開発が始まったのは1981年、今からおよそ40年も前のことです。当時策定された「三軒茶屋地区市街地再開発基本構想」に基づき、駅周辺を5つの工区(エリア)に分けて再開発を進めてきました。
2022年1月現在において開発および整備が完了しているのは、5つの工区のうち第1工区(旧アムス西部)、第2工区(キャロットタワー)、第5工区(サンタワーズ)の3つです。今後は第3工区(ブンカ名店街やすずらん通りがある繫華街エリア)と第4工区(三角地帯エリア)の開発が予定されています。
防災性の確保や魅力的な都市空間の創出等を目的として進められている再開発計画。一方で、再開発に反対する声も少なくないため、残された2つの工区の再開発には時間がかかるという見方がされています。そうした中、世田谷区は第4工区の都市計画決定前の2019年3月に、その後20年に渡って進めていく街づくりの基本方針を策定。「三茶Crossing」という名のビジョンのもとで、街の良さや個性を残しながら、より安全で魅力的な街づくりが計画されています。
三軒茶屋が選ばれている理由
江戸時代から人々が集まり、活気溢れていた三軒茶屋が時代を超えて、今もなお多くの人に支持されている理由。それは、街そのものの魅力と生活のしやすさにあります。
新旧の街並みが混在しながらも人々を惹きつける街
三軒茶屋は、再開発で進んだ都市の街並みや洗練されたオシャレなお店が数多くありながら、昭和レトロのお店やディープな雰囲気が漂う路地裏が混在する独特の街です。最新スイーツが食べられるカフェやベーカリー、オシャレな古着屋も多く、若者が多く集う活気ある街かと思えば、駅近くの商店街にはレトロな街並みがあったり、下町情緒漂う大衆酒場があったり。さらに賑やかな飲食店に交じりながら「大人の隠れ家」とも言える落ち着いた雰囲気のお店もあります。
周辺の家賃は決して安くないものの、そんな魅力溢れる街に住みたいと憧れを抱く人は少なくありません。部屋探しをする際に、あらかじめエリアを三軒茶屋に限定して探す人も多くいるのです。
生活のしやすさも魅力的
実際に生活をする上でも、その住みやすさには定評がある三軒茶屋。渋谷駅まで2駅5分の好立地とあり、通勤にも便利です。少し足を延ばした先にあるのは、世田谷区民の憩いの場である駒沢オリンピック公園や世田谷公園。リフレッシュや気分転換、休日のピクニックや運動にも適した環境が整っています。
三軒茶屋駅周辺には買い物に便利な商業施設も充実。業務用スーパーや24時間営業のスーパー、ディスカウントストアが複数あるという生活利便性の高さは、食費を抑えたい人や仕事で帰りが遅い人はもちろん、多くの住民に喜ばれています。お気に入りの八百屋さんや魚屋さんを見つけてみるのもオススメです。
飲食店が豊富にあるので、外食に困ることはありません。ジャンルやテイストが異なるバリエーション豊かな飲食店の数々に、普段から外食派の人もそうでない人も、飽きることなく楽しめるでしょう。
三軒茶屋のオススメスポット「太子堂八幡神社」
三軒茶屋で歴史を感じられるオススメスポットといえば、三軒茶屋駅から徒歩10分の場所にある「太子堂八幡神社」。その歴史は古く、平安時代末期に源頼義・義家親子がこの地で戦勝を祈願したことが言い伝えられています。つまり太子堂八幡神社には少なくとも1,000年程度の歴史があるのです。
太子堂八幡神社は、境内に「しあわせうさぎ」として親しまれているうさぎが飼われていることでも有名。休日には可愛いうさぎたちを一目見ようと、子どもから大人まで多くの人が集まります。
御朱印の種類が豊富であることでも知られる太子堂八幡神社。招き猫やうさぎの絵のスタンプが押されたものや期間限定のデザインのものなど、常時数種類の中から選ぶことができます。2021年の東京オリンピック・パラリンピック開催時期にはブルーインパルスや聖火リレーが描かれた御朱印が頒布され、大きな話題を呼びました。
人気に違わない、魅力あふれる街「三茶」
「三軒茶屋」の由来と歴史、いかがでしたか?利便性は勿論ですが、長年「住みたい街」上位に選ばれる理由は、連綿と受け継がれてきた街の魅力を、誰もがつい感じるからかもしれませんね。
三軒茶屋で暮らしてみたい!と思った方は、マンスリーマンションでお試し住みをしてみるのもオススメ。家具家電のほか、生活に必要なものは殆ど揃っているので、カバン一つで引っ越しできますよ。