【歴史シリーズ】「秋葉原」の由来とは?成り立ちや魅力をまとめてご紹介!
日本を代表するポップカルチャーの聖地として、多くの若者や海外の観光客を惹きつけてやまない秋葉原。その歴史を辿ってみると、今の姿になるまでにさまざまな変遷を経ていることがわかりました。秋葉原は「アキバ」という愛称でも親しまれていますが、実はこの愛称にも秋葉原の歴史が隠れているんですよ。
いったい秋葉原はどのような変遷を経て今のかたちになったのか、気になりませんか?そこで今回は国内外問わずたくさんの人々に愛される秋葉原の由来や歴史を紐解きながら、現在も多くの人々を惹きつける魅力は何なのか探っていきます。
秋葉原とはどんなところ?
交通の要衝としても知られる秋葉原。JR山手線・京浜東北線・総武線をはじめ、東京メトロ日比谷線、つくばエクスプレスが乗り入れる国内有数のターミナルです。
秋葉原のメインストリートである中央通りには、家電量販店や電化製品の個人商店が立ち並び、海外からも多くの観光客が訪れます。日曜日の日中は外神田5丁目交差点から万世橋交差点までの570メートルの区間が歩行者天国になり、秋葉原の名物スポットです。
秋葉原と言えば「電気街」というイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。パソコンの部品や工具など、マニアックなお店が軒を連ねています。ここでしか手に入らない商品を求めて訪れるマニアも多いです。
アニメや漫画ファンが喜ぶお店が充実しているのも、秋葉原ならではの特徴。「オタクの街」として有名で、近年のアイドルブームの先駆けとしても知られていますね。「AKB48」の活動拠点である「AKB劇場」や「でんぱ組.inc」が誕生したアイドルカフェ「秋葉原ディアステージ」など、アイドルにゆかりのあるスポットも多数点在しています。
駅周辺は交通量が多くて賑やかな雰囲気ですが、少し歩くだけで雰囲気がガラッと変わります。あまり知られていませんが、駅周辺の喧騒を忘れるくらい落ち着いた住宅街もあるんですよ。そのため秋葉原は住みやすい穴場スポットとしても人気を博しています。エリアによって色とりどりの表情を見せ、幅広い人々を魅了する街こそが秋葉原です。
秋葉原の名前の由来とは
秋葉原の歴史をたどる前に、「秋葉原」という名前の由来を調べてみました。
神社の名前が由来だった!
「秋葉原」という地名は、古くから残る「秋葉神社」という神社の名前が由来になっているようです。秋葉原のことを「アキバ」と呼ぶのは、この秋葉神社が起源になっているという説もあります。古くから人々に呼ばれてきた愛称が今も残っていると思うと、なんだか感慨深いですね。
人々に愛された「火防の神様」。
秋葉原電気街の周辺は、江戸時代には下級武士が住んでいました。「火事と喧嘩は江戸の華」という格言を聞いたことはありませんか。当時の江戸は大火事が多くて火消しの働きぶりが華々しかったことと、江戸っ子の喧嘩は威勢が良かったことを表現した格言です。
この格言にあるとおり当時の江戸は火災が多く、秋葉原界隈も例外ではありませんでした。1869年(明治2年)に起きた神田相生町の大火では、周辺8か町1100戸が全焼。この大火がきっかけで、当時の明治政府が約9000坪の火除け地をつくり鎮火社を創建します。
鎮火社の御祭神は、火産霊大神(ホムスビノオオカミ)・水波能売神(ミズハノメノカミ)・埴山比売神(ハニヤマヒメノカミ)の3神。しかし当時の人々は火防信仰で有名な秋葉大権現がこの鎮火社に祀られていると思い、「秋葉様」「秋葉さん」と呼ぶようになりました。いつしか鎮火社の呼称は「秋葉神社」、火除け地の呼称は「秋葉原」となりました。
駅の誕生によりその名は全国区に。
そして1890年(明治23年)に上野駅から延伸した新駅の名称を「秋葉原駅」と名付けたことにより、その名前が広く知られるようになったのです。諸説ありますが秋葉原は最初「アキバハラ」と呼ばれていたものを、駅の名前を付けるときに誤って「アキハバラ」になってしまったとも言われています。ちなみに駅の建設にともない、秋葉神社は台東区松が谷3丁目に移転。小さな神社ですが今も大切に管理されています。
秋葉原の歴史とは
秋葉原は江戸時代初期には中山道の宿場町として栄え、昔から多くの人や物が行き交う街でした。そこから世界的に有名なポップカルチャーの発信地となるまでに発展してきました。その歴史と現在までの変遷を見ていきましょう。
貨物の要衝として繁栄
上野駅に旅客と貨物が集中し逼迫している状況を回避するため、貨物駅として「秋葉原駅」が誕生します。駅が完成したのは1890年(明治23年)のことでした。当初の秋葉原周辺は明治政府がつくった広大な火除け地があり、日本鉄道がこれらの土地の払い下げを受けて貨物駅の用地を確保することができたのです。上野からの貨物線は「秋葉原線」、駅は「秋葉原貨物取扱所」と呼ばれていました。
秋葉原の南側には神田川があったため、駅に運ばれてきた貨物を水運に接続できる優れた立地でした。今の姿からは想像がつかないかもしれませんが、現在の「ヨドバシカメラ」の周辺には船溜まりがあったんですよ。
戦後は闇市で活況
第二次世界大戦では秋葉原周辺も空襲で大きな被害を受け、戦後は焼け野原の状態でした。駅の乗降客数が多い秋葉原周辺では闇市が活況を呈し、戦前から店を構えていた電気店も次々と営業を再開。当初は組み立てラジオが人気でラジオ部品を販売する露天商が集まり、今の電気街の下地ができあがります。
1951年にはGHQによる露店整理令が施行され、露天商は組合単位で秋葉原のガード下に移転。「ラジオセンター」「東京ラジオデパート」「ラジオガアデン」「秋葉原電波会館」が営業を開始しました。
日本最大の電気街になるまでに成長
高度経済成長期といわれる1950年代後半からは、「日本最大の電気街」として急成長を遂げます。当時豊かさの象徴とされた白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機といった家電製品が安く手に入るお店が多く、大人気でした。裏通りでは電子部品の専門店も増えて、電子工作好きの人々も多く訪れます。
パソコンからゲーム・アニメに発展して現在の姿に
1973年オイルショックから経済不況に突入すると、家電製品のかわりに今度はパソコンが売れ始めます。バブル崩壊以降は大型のパソコン専門店が続々と進出しました。
その頃から、パソコンを使ってゲームする人向けにゲームやアニメ、フィギュアの店舗が増え始めます。こうした変遷をたどって、ポップカルチャー発信地である秋葉原のイメージが定着するようになりました。
小さな個人店舗が時代の最先端を走ってきたのが秋葉原の特徴です。だからこそ街の新陳代謝がどんどん進み、「秋葉原に行けば新しい物と出会える」という街になったのでしょう。
秋葉原が選ばれている理由
秋葉原というと店舗やビルが密集している観光地というイメージが浮かぶ方も多いかもしれません。しかし駅から少し離れると住宅街も広がっていて、いつもとは違った意外な一面を発見できますよ。秋葉原が選ばれている理由は何なのか、その魅力に迫ります。
実は歴史を感じられるスポットが点在する街
秋葉原は最先端の文化に出会える街というイメージが強いかもしれませんが、意外にも歴史的なスポットが多数点在しています。新しい文化と伝統文化どちらも楽しめるという点は、秋葉原が選ばれている理由の1つといえるでしょう。
たとえば、全国的にも有名な「神田明神」は秋葉原から徒歩圏内にありますが、創建したのは西暦730年の奈良時代。アニメ「ラブライブ」の聖地としても知られていて、境内ではコラボグッズも販売。新しい文化も受け入れて見事に融合しているところに、秋葉原らしさを感じます。
街中を歩いていると、小さな神社に遭遇します。狛犬ならぬ狛たぬきの像がある「柳森神社」や、公園の端っこに佇む「草分稲荷神社」など穴場スポットも多数。神社を探しにお散歩してみるのも楽しそうですね。
そして秋葉原周辺には老舗の料理店も数多く残っています。秋葉原駅の西側、神田淡路町にある「かんだやぶそば」は創業1880年(明治13年)。同じく神田淡路町にある「鳥すきやき ぼたん」も1897年(明治30年)頃から営業を続けている老舗です。時代を超えて人々を惹きつける料理が堪能できるのは魅力的です。
暮らしやすさも魅力
秋葉原は暮らしやすさにも定評があります。とくに東神田2丁目エリアや浅草橋5丁目エリアは、一戸建て住宅やマンションが多い落ち着いた住宅街です。都会の喧騒を忘れさせてくれますよ。
交通アクセスに優れているのも秋葉原の魅力のひとつです。秋葉原駅はJR山手線が通っているので、都内主要エリアに乗り換えなしでアクセスできます。秋葉原駅から東京駅までは2駅3分、上野駅までは2駅3分という好立地です。表玄関口である東京駅と北玄関口である上野駅にこれだけ近ければ、新幹線での出張が多い方には最適なのではないでしょうか。
そして何といっても、秋葉原はお買い物に便利。電化製品のお店だけではなく、スーパーマーケットやコンビニも点在しています。駅を中心としてドラッグストアも多数あるので、生活必需品は簡単に揃えられる環境ですよ。飲食店のバリエーションも豊富で、さまざまなジャンルの料理を楽しめます。秋葉原のお買い物環境は、これ以上ないというくらいの充実ぶりです。
さらに秋葉原は隣接している街が個性的なので、少し足を延ばせばいろんな楽しみ方ができます。東は隅田川、西は御茶ノ水・神保町、南は神田・日本橋、北は上野という江戸を代表する街に囲まれています。隅田川までランニングをしたり、神保町で古本を探したり、上野でアート作品を見に行ったりと休日は楽しい予定でいっぱいになりそうですね。
秋葉原のオススメスポット
秋葉原のオススメスポットといえば、秋葉原駅から徒歩4分の場所にある「マーチアキュート神田万世橋」。この場所は、万世橋駅の遺構をリノベーションして蘇った商業施設です。
万世橋駅の初代駅舎が完成したのは、1912年(明治45年)まで遡ります。初代駅舎の設計者は東京駅も手掛けた建築家、辰野金吾。豪華な赤レンガ造りの駅舎は多くの人々を魅了しました。1943年(昭和18年)には駅としての機能を休止しましたが、その後鉄道博物館、交通博物館と姿を変えていきます。そして2013年(平成25年)「マーチアキュート神田万世橋」が誕生しました。
施設内には万世橋駅の遺構がいたるところに残されています。まず最初にご覧いただきたいのが、赤レンガの美しい高架橋です。高架橋のアーチ空間を残しながら、ガラスサッシで室内と屋外をゆるやかに区切る絶妙なデザインになっています。夕暮れ時には室内の光が神田川に反射して、とてもロマンチックな雰囲気になりますよ。
室内に入ってみると、レストランやクラフトビアバー、ファッション雑貨を取り扱うお店がずらり。時間料金制のワーキングスペースもあるので、リモートワークしたい方にぴったりです。神田川沿いにはノースコリドーというアーチ状の通路が店舗と店舗の間をつなげていて、一体感が生まれています。
反対側のサウスコリドーの途中には「1912階段」と「1935階段」という2つの階段が。「1912階段」は、1912年(明治45年)にできた万世橋駅の初代駅舎と同じ年の階段です。「1935階段」は1935年(昭和10年)に作られました。デザインや工法が違う2つの階段を見比べてみるのも楽しそうですね。
階段を上った先は駅のプラットホームだった場所。ここで営業しているカフェ・バー「N3331」も必見です!線路を行きかう電車を眺めながら食事を楽しむことができますよ。鉄道ファンはもちろん、大人から子どもまで景色に夢中になってしまうでしょう。
今も昔も最先端を走り続ける「秋葉原」
「秋葉原」の由来と歴史、いかがでしたか?昔からの文化を大切にしつつ、最先端を走り続ける姿が秋葉原が人気の秘密かもしれませんね。
秋葉原で暮らしてみたい!と思った方は、マンスリーマンションで試し住みをしてみませんか?家具家電や生活必需品がほとんど揃っているので、カバン1つですぐに引っ越せますよ。秋葉原であなただけのお気に入りスポットを見つけてくださいね。